虹の麓で春を待つ

気ままにゆるやかにぼんやりと

冬から春、そして初秋(2023)

なんとなく書き留めておきたくて。自分の中のあれそれ、可愛い息子のあれこれ。
長いです笑

1月某日

予定日よりも2週間ほど早いとある日の深夜、漏らした感覚で起きました。念のため病院へ行くと高位破水だと。始まりましたとうとう始まりました。陣痛は全くきていなかったので促進剤を使うことに。昼過ぎから痛くなり始めて、夕方には声が我慢できないほどに。内診してもらったら全開とのことで慌てて分娩台へ移動し、何度か頑張って吸引も少し使用して、産まれてきてくれました。とりあえず所要時間には5時間と。初産でその時間なら早い方だとは思いますが、痛みゲージがいきなり振り切った感じだったのでかなりつらかったです。
無痛は扱ってない産院でしたので自然分娩でしたが、もう経験したくないと心底思いましたね…。
あとコロナ禍真っ最中で夫の付き添いも面会もないのがかなりしんどかった。入院中は今でも思い出したくないほど酷くつらく、孤独で、ドン底でした。完全個室の母子同室、精神が狂う。

産後うつ

多分始まりは入院中からだったと思います。息子の産まれた日はその産院では他に3人産まれたそうです。個人の産院でしたので、1日で4人はとても多い。大変で〜と看護師さん・助産師さんたちにずっと言われていました。でもぶっちゃけ、こちらからするとそんなこと知ったこっちゃないんですよね。
コロナ禍のため立ち会いも面会もできなかったので、毎晩旦那や実母に号泣しながら電話しました。
最後の夜勤さんたちだけが、大丈夫?と声をかけてくれました。泣いた。
産院への恨み節が多すぎて笑ってます。
本当はもっと産院の話だけで1000字くらい書いたんですが恨みがこもりすぎていたので非公開の下書きに回しました笑

1ヶ月検診では、些細なことで(今考えると、です。当時は全てが命に直結すると考えていました)過剰に心配になりすぎて鬱病と言われ病院へ行きました。ただ、まともに取り合ってもらえず薬は貰いましたが通院はやめました。それよりも実母、義母に定期的に来てもらって私と息子の2人きりの時間を極力なくす方が良いという結論になりました。
また、あまり形が良くなかったので保護器をつけて授乳していたんですがそれでも上手くいかない時もあって。それもかなりストレスでした。息子も私も泣き叫んで、これはやばいと思って訪問助産師さんへ連絡をしたら、その助産師さんかなり良い人で!!産後ケア事業もされてる方でしたので、そのまま利用させてもらいました。市に直接申請して、認定もらって、施設探してまた申請してってこの状態で絶対できなかったので、その辺の工程をほぼ飛ばせたのはありがたかったです。
産後うつって知ってはいましたが、まさか自分がなるなんて思ってなくて。まじで私なんていない方がいいんだって、もし息子がいなかったらって思ってしまいました。それでも息子に手をあげることは全く考えませんでした。むしろほんの少しでも傷をつけたらダメだと思っていました。自傷は、ほんのちょっとしました。

訪問助産師さん・産後ケア

ここで神に出会ってしまいました。とてもとてもお世話になって、今(8か月)でも時々駆け込んでいます。
助産師さんは連絡した翌日には来てくれました。息子を一目見て「この子は舌小帯短縮症だから、なるべく早く歯医者さんで切ってもらいな」と。舌小帯は下の裏側にある筋です。その筋が舌先まであって舌が前に出せないためにうまくおっぱいを飲めなかったし、哺乳瓶もうまく吸えなかったと。産院では何も言ってくれなかったので、ここで助産師さんを呼ばなかったらこの事実が判明するのがもっとずっと後になっていたかと思うとぞっとします。息子はまだ1か月と少しでしたので、入院なしで歯医者ですぐに切ってもらえましたが、大きくなると全身麻酔しての処置になるそうです。歯医者には翌日には行けて、そのままはさみでパチンと切られました。血がダメな私は息子の泣き声と相まって一緒に泣きました笑
面白かったのが、助産師さんも歯医者さんも、産院で誰も何も言っていなかったことに非常に怒っていたことです。なんだかなあと思っていた気持ちがここで肯定された気がしてちょっと心が軽くなりました。
助産師さんからは産後ケアの利用を勧められました。申請が煩雑だなと思っていたのですが、助産師さんが持参していた申請書に記入している間に役所の人と話をつけてくれていました。産後ケアは泊まりで利用ではなく、半日で利用しました。1週間に1度くらいは体重を測らせてもらえたので助かりましたし、ミルク寄りの混合でしたがちょっとでも母乳の比率を増やせれば…という相談にも親身に乗ってくれて優しい言葉をたくさんかけてくれて本当に心の拠り所でした。
ただ、それでもおっぱいの時間は私も息子もお互いに苦痛になってしまったので3か月で完ミとなりました。飲む量が一目ですぐわかったり、管理しやすい点では良かったと思っています。洗浄や消毒が面倒という点は、私は特に思いませんでした。最初からやってたから慣れ??ただ出費がヤバいという話は、マジでヤバいです。楽天のマラソンなどの時にまとめて買うようにしています。でも夫や実母、義母に預けやすいですし気楽だな~とは思います。
(母乳で育てれるなら、そうしたかったというのが正直な本音ですけれど)

可愛いとは

突然目の前に現れた、弱々しいくて儚く、それでいて重い存在。大変だとは聞いていました。聞いては、いました。
実際自分がやるとなると大変どころではなく、最初の2週間は、1ヶ月は、果たしてどうやって生きていたのかわからないくらいです。意思の疎通もできなく、なんで泣いてるかわからず、自分は母親失格なのだと何度も一緒に泣きました。それでも、息子は可愛くて。泣いてる時も、うまく授乳できない時も、よく悪魔のように宇宙人のように写ってしまいましたが、根底には可愛いという気持ちがずっとありました。真夜中、寝ている息子の顔を何度も見てはああ、可愛いと溜め息が漏れました。
実母は、自分の子が(兄のことですが)可愛いと感じたのは2歳頃、それまではひたすら宇宙人と一緒にいるような感覚だった、今思うと鬱っぽかったかもね、と言っていました。その気持ちもとてもよくわかる。母との会話の解像度が上がるとともに、尊敬の念が深まりました。ありがとうお母さん。
今、息子はもう8ヶ月です。身体はずいぶんと大きくなりました。重くなりました。目が合えば笑いかけてくれ、あやせば声を出して笑い、私の姿が見えなければ大声で呼び、抱っこして欲しいと顔をくしゃくしゃにして、お腹が空いたり眠いと泣き、まあ忙しい。でもどれもこれも可愛い。スマホで気軽に収められるとは言え、たった一瞬のこと。全てを記録するなんてできません。
目にシャッター機能があればいいのになあ。
時々スマホのアルバムを見返してはどの息子も可愛くて、そしてその時の苦労も思い出されて、そうして今の息子を抱き締めています。はいはいも段々とできるようになってきました。よいしょ、よいしょと私の元へやってきては私の体を使って立ち上がります。ご飯が好きでぱくぱくと食べてくれます。バナナやリンゴなどの果物、ヨーグルトは嫌いみたいです。お昼寝は抱っこじゃないと寝ません。私はベッド役です。
1歳なんてすぐなんだろうなあ~。子育ては想像していたより何倍も大変だけど、毎日いくつもの幸せと愛おしさを感じれます。今だけのことも多いだろうと思います。明日も、息子を抱き締めよう。