虹の麓で春を待つ

気ままにゆるやかにぼんやりと

2022年1月はお別れから

ちょろっと呟いた通り、暗めの話です。
何かというと、流産しましたという話です。

この時点で思うことがある方、見たくないなという方はこのブログを閉じてください。































年の瀬12月29日、もしやと思って妊娠検査薬を使ったところ、すぐに陽性反応がくっきりと出ました。病院は30日〜明け3日までお休みだったので1月4日を待つことに。
晦日に炭酸を飲んだら気持ち悪くなり、ちょっといいお肉ですき焼き!と思ったのにあまり入らずで悪阻始まった??と御馳走を前に落ち込みました笑

1月4日、病院で診てもらったら胎嚢確認できました。子宮外妊娠じゃないことにひとまず安心。また2週間後に、と言われて帰宅。

あとは徐々に勢力を増してきた悪阻と戦っていたのですがほぼ敗北の毎日でした。常にバス酔いしているような気分で、空腹になると吐き気が爆発、そこそこ食べても爆発、ラーメンやうどんなどすすれない、そばは苦い、梅もダメ、甘いものは喉にまとわりつく感じが嫌、ルイボスティーも無理、水が美味しいと思ったら無理、麦茶も無理、ご飯の炊ける匂いは地獄、歯磨きも歯磨き粉も無理、吐きっぽくて寝れない、洗剤柔軟剤シャンプー化粧品の香りがダメなどなど。フルタイムで働くことが難しく、毎日午後から出社していました。でも16時前後から体調が急激悪くなるのでその辺りはトイレに駆け込む時間も増え。なんとか仕事を回していましたが限界でもありました。
ちなみにこの時点で上司と同僚には妊娠したことを伝えてあります。

2週間待たずに少量ですが出血があったので病院へ。切迫流産との診断を受けて薬を貰いました。この時心拍の確認はできました。ドッドッドッ、とちゃんと動いていました。

身体のダルさもありゆっくり動くしかできなくなっていきました。あとは身体に負担のかかることはやめよう、となるべく気を付けたり。
8週目、ふと悪阻が軽くなりました。慢性的な気持ち悪さがなくなりました。それでも吐く時は吐きましたし、匂いも歯ブラシも相変わらずダメでしたが。随分と軽くなってしまった悪阻に戸惑い過るのは流産。悪阻が軽くなっても元気に育ってた!という方も多くいるようで、私も大丈夫、大丈夫と信じることにしました。きっと悪阻のピークが早めに過ぎたんだと。でもとても怖くて、1人で泣くこともありました。

検診の2日前にまた出血。ドキっとしながらもその日は安静に。そして検診日、計算だと9週のはずが赤ちゃんは8週。心拍確認できず。また3日後に来て欲しいと。
そう聞いた瞬間、こんなにはっきり見えてるのにと頭が真っ白。でも片隅ではやはり、と。母子手帳もらってきてね、という流れを期待していたのでこの日は夫も休みをとっていました。迎えの車で、泣いてしまいました。良い未来も悪い未来も検索する指が止まらない。

心拍確認後に止まってしまうのは5%らしいですね。流産自体は15%くらい。初期流産なので原因は赤ちゃん側、染色体異常であると。そんな中に当てはまってしまったのか、と。悪阻がつらくてもいい、この身体がどうなってもいいから心拍もう一度確認できるようになってくれないか。祈りました。

3日後の再診、赤ちゃんの心臓は止まったままでした。しかも輪郭がぼんやりとしている、崩れてきているのかもしれない、これは流産と言わざるを得ません、手術しましょう、カーテン越しの医師の言葉。
はい、という言葉は案外すんなりと出て。仕事の調整で会社に電話だけさせてもらい、3日間お休みをいただくことになりました。そして、今までこんなに泣いたかなというくらい泣いて、泣いて。夫は午後仕事を休んで慌てて帰ってきてくれて。母に電話したら手術の前日に私の元へ行くよと。
そして現実を見たくなくてアルセウスを始めました。良い気分転換になりました。

手術前日は子宮口を広げるための処置をしました。その際に最後の内診ですが、赤ちゃんの身体がもっとぼんやりしていて、心臓は動いていません。母だけでなく父も来てくれて。処置後に体調が急変してしまったので来てくれて本当に良かったです。
夜もう一度泣きました。

手術当日は、処置の記憶はありません。麻酔と眠くなる薬で、気付いたらベッドに寝かされていました。ただ軽くなったお腹に、もうそこにいないという現実を突きつけられました。
お腹もそんなに痛くないし、出血もそこまでありません。まだこれからあるかもしれませんが。


母子手帳ももらえませんでした。
あるのは4枚のエコー写真だけ。そして私を苦しめた日々の記憶。名前もない、性別もわからない。そんな不確かで曖昧な存在。忘れるつもりはありませんが、どこかに残したいという思いもあり、悩みましたがブログに綴りました。書きながらも読み返しながらもまた泣いてしまいますね。



一時でもお母さんにしてくれてありがとう。私たちの元に来てくれてありがとう。またあなたを産みたいから、きっと帰ってきてね。今は、さようなら。